2011年01月02日 よっきー邸 BGM:サザンオールスターズ - Hotel Pacific
初夢:巨大化した中学生時代のクラスメイトに取り囲まれる夢。悪夢。
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…起床予定時間を一時間ほどオーバーしました!!(白目) 予定では八時前の電車に乗って九時には目的地入りしたかったのですが何たる失態。泣き言をたれるわけにも行かないので急いで荷物を抱えて駅まですっ飛んで行ったのでした。ちょっと迷いましたけどね!!
朝食を某ウィダーインゼリーで済ませ草津駅で乗り換え。琵琶湖沿線を北上。
いちめんのゆきげしき
いちめんのゆきげしき
いちめんのゆきげしき
たまにみえるえきしゃ
いちめんのゆきげしき
いちめんのゆきげしき
いちめんのゆきげしき
たいようとあおぞら
いちめんのゆきげしき
いちめんのゆきげしき
いちめんのゆきげしき
あわや2かいねおち
安土駅到着。
私、”武田信玄”は父を追放し当主の座に立ち早幾年、この男を知らざるを得なかった。尾張(愛知県)一国にも満たない領土しか持たずながら大大名級の経済力を有し、当時誰もが現実に出来ないとたかをくくっていた「上洛」そして「中央政権の支配」を現実にし、果てに幕府を滅亡させた男、織田信長。過去には一度も、上洛の途でも会うことの無かった男。結果都に風林火山の旗が揺らめくことは無かったわが武田家のためにも、彼の足跡をたどらねばならぬ。その智を伺わねばならぬ。その第一歩として、私は安土を訪れた。
※と、いう設定で読むといいと思います(台無し)
安土駅前。ううん、ごちゃごちゃしてる…。 左下から右側に向かって安土町マスコットキャラクター、大河ドラマ「江」ゆるキャラ、映画「火天の城」POP、「らんまるくん」。やはり昨今の「ゆるキャラブーム」で注目を浴びているのは非常にうれしいですし、安土町にとってもうれしいことには変わりないのでしょう。
戦にしても観光にしても、まずなんにしても情報を得ることが先決ですね。観光所、たのもー!
…信長めえぇぇっ!!!
…こいつは完全に休館日を調べ損ねていた自分の失策ですね。一抹の不安(どころか十抹も百抹もあるのですが)を残しつつ、地図を頼りに目的地に向かいます。
信長といえば鷹ですよね。不知火に頭鷲掴みにされて流血ですよね。(へうげもの読者にしかわからない発言)
セミナリオ跡。
セミナリオというのは所謂キリスト教の司祭を教育するための神学校のこと。1580年に開講されたのですがその後の権力者達からの弾圧に苛まれ、結果江戸幕府からの禁教令でわずか30年で閉鎖されてしまい、そこで勉学に励んだものも殉教や海外への追放を余儀なくされるなど、葛藤と悲哀の残る場です。現在は小さな公園になっており、このセミナリオで学んで後に殉教した三木パウロ氏の記念碑が建てられております。
ここからは安土城の方面に向けて移動。それにしても
歩道が本当に狭すぎて困るのですよ…
安土城址。城郭めぐりも良いですがここでしか見れない資料を生で見るのも大事と思いますのでまずはいったんここをスルー。
安土城考古博物館前(左) と、 安土城天主信長の館(右)。徒歩で行くにはあまりにも絶望的な看板ですわこれ。
せっかくだから俺は信長の館を選ぶぜ!!
……信長めえぇぇぇぇぇっ!!!!!
仕方ないので安土城址へ戻る。下手したらここも正月休みの可能性があったりでどうしようかなとは思ってましたが無事に入場出来ました。天守への山道を上っていくちょっとしたハイキングコース見たいな印象ですね。
おおっとここで信長公からのメッセージが!!
…はい。ちゃんと休館日くらい調べてきます。
天主には羽柴(後の豊臣)秀吉の邸宅跡や後に松山藩主となった信雄(のぶかつ)ら信長一族の墓が残っていますが、ここで特筆すべきは、仏像の一部が、建築石材の一部としてそのまま使われていたところ。(現在もいくつかの石仏が現存しています)ここやセミナリオを見ると信長が親キリスト政策を採っていたように見えますがそうではなく、徹底的な合理主義から見る結果(キリスト教の保護も南蛮文化の輸入のためという見方が大きい)で在るのでそこはお間違いなきように。
時間の関係で頂上に行くのはあきらめ、信長公の廟を見た後はそそくさと下山。行きとは別ルートを通ります。信長公の廟の写真は省きますが(なんだかんだで霊廟ですしおすし)そこだけ石垣がこれまで見たモノとは明らかに違う構造だったりと、そこだけ別の時間の中にあったことを感じさせる場所であります。また、信長公の廟はここだけではなく京都本能寺など、全国各地に存在しています。
とりあえずわかったことは一つ。ここの観光は丸一日かかる。
――信長は言っている、時期を見て夏にも訪れるべきだと――
ここからの眺めがまた美しくって美しくって。信長がこんな景色を見てたと思うと胸が熱くなりますな。
金剛力士像をまつる總見寺(そうけんじ)の二王門(重要文化財)。ただここからの案内表示が乏しく進むルートも少々危険な香りがしたりと、なんか向かってはいけなさそうな方向に行ってそうで怖かったです。
ともあれ、無事に入り口に到達。
杖使えたんですか… 二回ほどこけそうになったし持って行けばよかった。
駅に向かい入り口すぐ横の駄菓子屋で昼食を購入し、いざ次の目的地へ。記念にスタンプはしっかり押させていただきました。
会った気が全然しなかったけどまた会おう信長!!
…そして、再び車上の人となったのであります。名古屋方面に向けて前進です。
石田三成の居城として有名な佐和山城址。その四半世紀前に織田、浅井間の戦地の一つになっていたことも知っていて損は無いと思います。
米原駅で乗り換え。ただやはりシガレットコーラとジューCソーダ味だけの昼食は大変心もとなさ過ぎたので、駅弁なるものを購入しようと思いたったわけです。ただ、やはり昼を過ぎ多くの客が買っていった為か、弁当の選択肢が大変少なくなっていたため少し予算から背伸びして近江牛ステーキ弁当なるものを購入。一日の食費予算のたった三分の二を消費して近江牛なんて食べれたのだし、晩飯は霞でも食べようかと思います。
米原〜大垣間は本当にすごかった。雪で埋もれた砂漠のような平原にぽつんと現れたような小山が圧倒的な存在感を放っていたり
向かい側から突然カメラのシャッター音や感嘆の声が漏れていたので振り向いたらさらに大きな雪山が聳え立っていたり。
岐阜。ぎぃふぅー
岐阜駅の車内から眺める金の信長像。なお金の信長はメロンパン入れになっております。また、私が個人的に好きな駅(My Favorite Station)には銀の信長像が置かれており、銀の信長を五つ集めると金の信長と交換することが出来る訳が無いでしょう。
そして、名古屋駅を通過した武田さんは次の停車駅である
熱田駅に到着しました。
熱田駅、というからには無論目的地は熱田神宮。三種の神器の一つである天叢雲剣を祀っている神社です。この熱田神宮も織田信長と非常にかかわりが深く、信長の祖父である信定、父親である信秀の代からすでに熱田周辺を支配したらしいです。三重県の伊勢神宮と併せて定期的に寄進を行い、中部でも有数の商業地帯の発展に寄与すると共に織田弾正忠家の財政を支えました。また、桶狭間の戦いでは今川軍を静観していた信長が一転出撃し、決戦直前に戦勝祈願を行った場所としても知られています。
熱田神宮の目の前はショッピングモール。中は詳しく見ておりませんが商売的には本当に上手くできた位置にあるよなあ、と。それはそれで境内の混雑量も二倍なのですが。(当社比)
まず、境内に入ってすぐがすごい。両脇にはくじ引き、チョコバナナ、りんごあめ、焼きそば、御籤、各地のB級グルメ、さらにはケバブ、サザエのつぼ焼き… ここはどこのお祭りですか。地元の夏祭りでこれほどの混雑は何度か味わいましたが、それがまた正月早々からいきなり経験するのは予想外すぎてハラハラハラハラ。
まあ、屋台の類は後々ゆっくり味わうとしまして、まずはご参拝いたしましょう。
いやあ、それにしても人多いですねwwwwwwさすがは三が日の参拝数が200万人超すだけはあります。これだけの参拝者数あるとたどり着くのはいつになるんでしょうなwwwwwww
いやあ、すごいですね!やはり多くの参拝者が皆この地に集まっている事実を今目の当たりにしたわけです。
すごいです!
実にすごい!
…
えー… 実は、この辺で少し吐き気を催しまして…
といいましても事前に上手く「こいつはまずい」と察知し脂汗をかきながら逆走し、申し訳なくも人垣を書き分け参拝者の波から脱出。一先ず落ち着きあわや最悪の事態は免れたわけですが。 とりあえずひとしきり落ち着いたところでこんな飛んで火にいる夏の虫的シチュエーションに誰が飛び込めるかこの野郎!とよく判らない怒りも起きたところで参拝は無理と判断、せめて熱田神宮に行ったという証は残しておきたいと、ふと見えた屋台でダルマを購入、それを小脇に抱えて熱田駅に退却したのでありました… の、信長めえぇぇっ…
※なお、そのダルマは東京で親戚にみやげ物としておいしく渡しました。
…というわけで熱田参拝は早々に諦め、次の目的地へ。そういえばタクシーってお金かかるんですよね…ってなにをほざいてんだ当たり前だボケ。(この旅で初めて交通費に資金を割きました)そう考えると18きっぷってスゲーよな!
…そしてたどり着いたは知る人ぞ知る有名な壁。
というわけでホテルHOSOnことHOSOnさん宅にお邪魔させていただいたのでした。といっても、到着したのも日が暮れつつある夕方で、撮影もひと段落したところでしたが。 そこにおられる方々はほとんどが初対面、なおかつ皆様あらゆる面で先輩といえる立場の方ばかり。(いつものように無茶苦茶ビクビクしてます)。というわけで来られていた面々に自己紹介をしつつちゃっかり名刺を渡させていただいたのですが、以前一度サイト上で紹介したレオさんが自分のサイトの存在を覚えていてくださったらしく。
「どうも初めまして、安い武田信玄です」
「おそらくの人ですね」
ありがとうございます。
なんでしょう。
長年サイト運営の真似事してるなかでも最上級の褒め言葉を頂いた気がします。
ありがとうございます。
ほらちょっとそこの武田さんいくらハイになったからってジョジョ立ちはやめなさい。
また、いずこかでよく話題になるレモン牛乳も飲ませていただいたり。
判りやすく言うと牛乳に飴を溶かした様な味ですね。そして「レモン」の割には甘い。癖になる甘ったるさ。あーこれ風呂上りとかにいいかも。
ほらちょっとそこの武田さんいくらハイになったからってry
そしてプロデューサーさん鍋ですよ鍋!!しらたき食べるのなんておよそ二年ぶりですよ(年数は適当)!ンまぁ〜い!!
ほらちょっとそこの武田さんしつこい
あとはぶん殴りたくなる程にサマになったポーズを決めてる武田さんがいたり
西涼の錦馬超こと翠さんを呼んでいただき、プチ撮影会が開かれたり。
今までに素コスでもこのようなスタジオに近い環境で撮影にかかわる機会が無かったので、そういう意味でもまた新しい体験が出来ました。やはり、スタジオやロケ、イベントの場それぞれでしか撮れない写真がある訳ですね!いちコスプレイヤーとしてもこういう機会を作って参加したい、と感じた時間でした。
まだ己には上手く魅せるための技術も経験も少なく色々と動作やポージングがぎこちないのは致し方ないとはいえ後日写真を見る中でやはり修行が必要だ、と痛感する次第です。この機会を作ってくださったマスターである彩弧由貴さん、撮影に協力していただいたHOSOnさん、改めてありがとうございました。翠さんかわいい。
帰れよ俺。
時間ぎりぎりまでHOSOn邸に滞在したあとは名古屋から大垣に向かいます。
大垣で待機。といっても本日の宿は
大垣⇔東京を運行する臨時夜行列車、ムーンライトながらの車内なのでした。これだけ始めて尽くしの旅行だと言わずもがなではございますがもちろん初めての体験です。大垣到着がおよそ10時、「きっと駅前にコンビニくらいあるだろう」とたかを括っていたら周りの店は皆CLOSED。そこからのおよそ40分間暇で暇で、尚且つ寒くて寒くて。
熊出没…
そうこうしてるうちにやってまいりました、ムーンライトながら。ここから六時間をかけ、真夜中の東海道を駆け抜けます。
………
………………………
……あれ?
………………………
……うん。え?
……………………………あれれ?
ネタバレ。
この瞬間まで夜行列車と寝台列車を同じものと勘違いしてました。
いや、両方響きが似てるし思わず勘違いしてもおかしくないでしょ、ね!ね!…武田さんの無勉強と言えばそれまでなのですけど。とりあえずアレですわ。信長めえ…
と、いうわけで思わぬ大誤算でしたが乗車。うろたえるんじゃあないッ!甲斐の戦国大名はうろたえないッ!
「夜行列車と寝台列車を間違える」誤算はかなり大きく、座席で寝る心の準備も出来てなかったためなかなか寝付くことも出来なかったり、コンセントがあると聞いていたのにどこにも無いため軽くうろたえたり。mixi経由で「洗面台にあるよ」と情報は頂いたのですがとても充電なんか出来っこありません。あと、写真のキャラメルのおかげで銀歯が取れました。
眠れない眠れないと呟きながら、暫くの後紬ちゃんと共に夢の世界に入ったのでした。
(続く)
安土城址(安土町観光協会)
午前9時〜午後5時 年中無休
入場料:大人500円 小人100円
JR安土駅から徒歩20分 駅前にレンタルサイクルあり